サイレントメッセージ
―――序章―――



 ハルヒが上機嫌だと大概何かおかしなことが起こる訳であって、俺は既にそれに対する嗅覚か何かを自らの身に備え付けてしまっていた。時には便利なもんだ。4限で後ろからの只ならぬ空気を嗅ぎ取れば昼休みは部室に避難することができるし?逃げ場がなければ適当に場を取り繕うこともできる。これぞ俺の1年間の賜物ってやつさ。まあ古泉に言わせると奴はハルヒの精神世界のエキスパートらしいから、俺なんかまだまだなのかもしれないけどな。最もハルヒの精神世界のエキスパートになっても嬉しいことなんか何1つない。俺には自然と肥えてゆく眼力だけで十分なのさ。
 だがしかし、それでもハルヒの年中お祭り騒ぎな脳内を熟知するには至らないらしく、そのせいで俺は今眉を顰めてるって訳だ。
「すまん、何だって?」
「聞こえなかったの?相変わらず進歩のない耳ね。今度耳鼻科にでも言ってきたら?」
 本気でカチンと来た俺に構わず、ハルヒはいつもの団長席でお決まりの笑顔を浮かべる。俺が耳鼻科に行くくらいなら俺はとうの昔にお前を精神科に放り込んでるさ。
「ふふん、言うじゃない?」
 不敵に笑いながら行儀悪く椅子に立ったハルヒは、コンピ研から強奪したパソコン越しに身を乗り出した。
 あぁ、説明が遅れたが、もちろん俺達がいるのは文芸部とは名ばかりのSOS団の溜り場だ。本来唯一の文芸部員であるはずの長門は隅っこのパイプ椅子にちょこんと腰掛け辞書ほどはあるだろうと思われる分厚い文庫本を読んでいる。古泉は古泉でボードゲームに伸ばしていた手を休めいつもの笑顔でハルヒを見ているし、朝比奈さんは言うまでもない。麗しのメイド姿でオドオドと立ち尽くしているだけだ。俺以外の3人はコイツに楯突こうとすらしていない。よって、俺が言うしかないって訳さ。
 全く、とんだ貧乏くじを引いちまったもんだぜ。
「仕方ないからもう一度だけ言ってあげる。今度はちゃんと聞いときなさいよ、バカキョン」
 誰がバカキョンだとツッコミを入れようかとも思ったが、古泉のムカつく視線を感じなんとなく憚られちまう。くそ、何だその気色悪いアイコンタクトは。
 我らが迷惑な団長様は大きく息を吸い、
「旅行に行くわよ!今月末!」
 大声でそうおっしゃりやがった。どうやらさっきのは聞き間違いではなかったらしい。
「待て待て。今月末って言うのは明後日と明々後日の土日のことだろ?旅行?いくらなんでも急すぎないか」
「いいじゃない別に。楽しいことに早いも何も関係ないわ。どうせ暇でしょ」
 何を根拠に言ってるんだお前は。健全たる高校生の予定を確かめずにズカズカと人のスケジュール帳を汚しまくる団長が何処にいる。大体3連休でも何でもない土日に旅行に行くなんて馬鹿のやることなのさ。ただでさえ億劫な月曜日がさらにウザくなっちまう。いや……まぁ、暇なんだがな。不服なことに。
「だろうと思ったわよ」
 くそ、何で予定入れとかなかったんだ俺の馬鹿野郎。谷口と国木田辺りと寂しく過ごす予定でも何でもいいから取り付けとけばよかったぜ。これじゃ豪邸の忠犬よろしくハルヒの言いなりじゃねぇか。
 苦虫を潰したような顔をしているであろう俺を無視して、ハルヒは顔を横に向けた。
「みんなも平気よね?」
 ちょっとした期待を持って他3名の団員を見渡してみたのだが、俺の頼みの綱はそう頑丈には作られていなかったらしい。3人揃って肯定の意を示しやがった。
 従順たる団員の返答に満足したのか、ハルヒは満足げに腕を組んでその大きな瞳を輝かせた。
「では、これより本日第1回ミーティングを開始します!」



 ハルヒが言うには、どうやら古泉の兼ね合いにより近くのコテージがかなり格安で借りられるらしい。その借りられる期間とやらが今月中らしく、急遽予定を立てたのだそうだ。
「僕の知り合いが営業しているコテージでしてね。改築していたのを、来月から再オープンするのですよ。もう改築は終わっているそうなので、よければ使わないかと声が掛かりまして」
 この大嘘つきめが。どうせまたハルヒを退屈させないために『機関』とやらが企てた計画に違いない。
 疑わしげな目で見つめてやったら、古泉は「ごもっともです」とでも言いたげに溜息をひとつついて肩を竦めやがった。図星か。
 そんなこと小指の甘皮程も知らないハルヒは満足げな笑顔を古泉に向け、
「古泉くんは本当にSOS団の副団長として活躍してくれてるわ!キョン、あんたもちょっとは見習いなさいよ」
 こいつの何を見習えと言うのだ。何か。俺も始終ニコニコ笑ってればいいのか。
「やめときなさい。不審者だと思ってお巡りさんが飛んできちゃうわよ」
 失礼な。
「とにかく!ただの土日だからってうかうかしてちゃ駄目よ。不思議な物っていうのは大抵気が緩んでる時にひょっこり出てくるものなのよね。月末ってなんか気が緩むじゃない。山を歩いてればきっと木陰に隠れてた宇宙人が顔を出すわ!川で釣りもいいわね!水と一緒に流れてきた地球外生命体が食いつくかもしれないし」
 月末に山に行ったからってそんなに簡単に宇宙人が見つかったら探検家もビックリだろうさ。というか、お前の半径2メートル以内にその宇宙人様とやらは存在するんだがな。
 なんとなく長門に目をやると、長門は本から目を離し、俺を見た。黒曜石のような目が「何?」と言っている。この微妙な変化さえ見抜けるようになったんだから、俺のこの1年は無駄じゃなかったよな。
「あ、あのう…荷物は何を持っていったらいいでしょう…」
 お茶を配ったきり何も話していなかった朝比奈さんが可愛らしい声で問い掛けた。愛らしいメイド服を心許なさげに握り締めていらっしゃる。
 どうせ電車で行くんだから、釣り竿持ってこいとか言われても俺は断固拒否するからな。そんなもんは古泉にでも持たせとけ。
「大抵の物はあちらに備わっていますから、必要なのは衣服くらいですよ。勿論釣り竿もありますので、ご安心を」
 ほほぅ。随分準備周到じゃねぇか。
「本当はそこそこの値段がつくコテージですからね」
 全然苦しそうでないデマカセを口にし、古泉はまたいつもの笑顔に戻った。
「みんな、明日は明後日の為にちゃんと準備しておくのよ。1泊2日だからって油断しちゃいけないの。不思議な物の100個や200個は捕まえるつもりで挑みなさい!」
 ご機嫌なハルヒのその言葉に被さるように長門が本を閉じ、その日の団活は終了となった。