サイレントメッセージ
―――第1話―――



 昨日まで降っていた雨がそのまま降り続けていればよかったものの、旅行当日は嫌味なくらいの快晴だった。俺の作った逆テルテル坊主は効果を発揮しなかったらしい。全く、お天道様ももう少し休んでてくれてよかったのにな。
 燦々とアスファルトを照らす太陽を恨めしげに眺めつつ駅前の駐輪場に自転車を置いて待ち合わせ場所へ行くと、俺以外の団員が4者4様の対応で出迎えてくれた。
 「何タラタラ歩いてきてんのよ!罰金!」などと言いつつも笑顔で腕を組んでいるのがハルヒで、「おはよう、キョンくん」と麗しい笑顔を向けてくださるのが朝比奈さん、古泉はいつものスカした笑顔を浮かべている。
 そして驚くべきはもう1人の団員、宇宙人製アンドロイドだった。いつでもどこでもセーラー服を着てくるのがこいつの特徴の1つのようになっているし別段それに不満があるわけでもないのだが、今日のこいつは一味違った。ささやかなレースが可愛らしいトップスに、目に新しい白ボトムを纏った長門は、無言でその透き通った目を俺に向けている。去年の夏休みや冬の合宿で何度か目にしていたが、長門の私服姿はいつ見ても新鮮だな。しかし今日は特にいつもとジャンルが違う気がする。いや、それはもう似合っているのだが。
「今日は制服じゃないんだな」
「そう」
「似合ってるぞ」
「………そう」
 長門は心持ち間を置いてから返答した。
 確かに山に行くのにスカートはアレだよな。しかし長門なら1ミクロンのシミも付けず富士山でもアルプス山脈でも登ってしまえそうだし、まず汚れても無言で再構成するだろう。その様が目に浮かぶぜ。



 ハルヒを先導にまず俺たちが向かったのはいつもの喫茶店ではなく待ち合わせ場所から徒歩1分の駅だった。罰金はなしかと思いきや、全員分の電車賃を払わせられた。
 嗚呼さらば、俺の野口英世。
 何度か電車を乗り継ぎ、俺達は着いたのはそこそこ緑豊かな地だった。都会に慣れた目には、自然の緑がひどく優しい。
 いつもと違って長い髪を結わいた朝比奈さんは大きく欠伸して、
「気持ちいい所ですねぇ。緑がとっても素敵」
 と目を輝かせる。やはり未来にはこういった自然があまりないのかね。
「ほらそこ!のんびりしてないで、ちゃっちゃと歩きなさい!」
「へいへい」
 先頭を歩くハルヒに早くも置いて行かれそうになっていた。いかんいかん。見知らぬ地で朝比奈さんと2人で迷子にでもなってみろ。2度と帰れなくなる自信があるぞ、俺は。
 今回も森さんと新川さんが迎えに来るのではと身構えていたのだが、存外にコテージまでは徒歩だった。学校への道のりと同じ様なハイキングコースなのに、さほど苦に感じない。やっぱり生は違うな。
「ごもっともです。たまにはこういうのもいいものでしょう?」
 古泉は言う。
 これが『機関』の差し金でなければあと3割は楽しさがアップしていたはずなんだがな。朝比奈さんは何やら期待できそうなバスケットを持っているし長門の私服は見れるし、ハルヒはまぁ置いておくとして、俺だってこうして旅行するのが嫌な訳ではないんだ。
「言っておきますが、今回機関は殆ど無関係ですよ。場所の手配だけは請け負ってくれましたが、その他は一切ノータッチです」
 そうなのか?
「ええ、だから今回は森も新川もいません。僕達は僕達で、気ままに旅行を楽しみましょう」
 それなら安心だ。機関が絡むと何らかの事件が起こるからな。気が抜けないんだ。
「あなたには機関一同感謝していますよ。ここの所例のバイトとはだいぶ疎遠でしてね、このままなくなってしまってほしいものです」
 超能力者の肩書きが消えてもいいのか?
「寂しい気もしますがね。前までその肩書きのおかげで僕はSOS団にいられたわけですし。しかし今なら、その肩書きが消えてもこの居場所はなくならない気がするんですよ。思い違いかもしれませんが」
 いいや、少し釈だが思い違いではないと思うぞ。ハルヒはSOS団の団員が1人でも欠けたらそれこそ暴れ狂うだろうよ。
「そうですね。光栄です」
 古泉は笑顔から少し邪気を抜いて前を歩くハルヒを見遣った。眩しそうに目を細める。
 並んで歩く俺達の前には人形のように歩く長門の手を引いてあれやこれやと騒がしく話すハルヒがいて、朝比奈さんはどこかというと俺達の後ろでヒデオを構えていらっしゃる。去年の夏休みに引き続き今回もカメラ係に抜擢された朝比奈さんは、着いてからというもの無駄に気合いを入れて俺達を撮りまくっているのだ。
「朝比奈さん、あんまり離れるとはぐれますよ」
「大丈夫ですよぉ」
 振り向きざまにアップで写され、俺は苦笑して前を向いた。何をやってもおっちょこちょいな愛らしいマイエンジェルだが、案外カメラマンが板についていらっしゃる。
「……ん?」
 しかし俺が前を向いた瞬間、背後からコツリと岩盤に石か何かを当てたような音が聞こえた。

 ――コツリ。

 もう一度同じような音が鳴る。またしても背後からだ。
 隣にいる古泉は気付いていない。しかし長門は気付いていた。珍しいことに、漆黒の目を僅かに見開いて立ちすくんでいる。
「有希?どうしたの?」
 ハルヒが長門を呼ぶ。しかし長門はそれにも目をくれず、ただ俺の背後を見て硬直していた。
 頭で考えるより早く、俺は長門の視線の先を――音の発信源を追い振り返る。
 嫌な予感は的中した。
「朝比奈さん!!」
 ちょうど朝比奈さんの右手斜め上。
 昨日までの雨で緩くなった土砂が、最後尾を歩く朝比奈さんの上に降りかかろうとしていた。
「く……っ!」
 数秒後に起こるだろう事態を予想し、しかし脳が結論を出すときには呆然と立ち尽くす朝比奈さんの手首を掴んで引っ張っていた。朝比奈さんが短く悲鳴をあげながら後ろへ倒れ込み、俺も勢いのまま転がるように倒れる。ドドドドドとけたたましい音を立てて茶色い雪崩が地を濡らしたのはその直後だった。
「……ふう」
 なんとか間に合ったか。
 吐き出した溜息は安堵の色を滲ませている。冷や汗でシャツがびっしょりだぜ。
 俺と朝比奈さんの足元スレスレまで到達した土砂は、ほんの一瞬前まで朝比奈さんがいたまさにその地点を豪快に埋め尽くしていた。