サイレントメッセージ
―――第4話―――



「終わった」
 短くそう述べた長門は伸ばしていた右手を下げ、そのまま未だ伏せている俺に差し出した。情けなくも長門の手を借り立ち上がる。殺されかけたのにも関わらずこんなに落ち着いていられるのは、俺が危機的状況に慣れてしまったからなのかね。できれば慣れたくなかったぜ。
「行こう。ハルヒ達はもう戻っているかもしれん」
 随分時間くっちまったからな。ハルヒ達もいるはずのない「何か」を探すのにそんな大層な時間をかけたりはしないだろう。願望実現能力をお持ちのハルヒ様ならともかく、俺のデマカセが本当になる訳ないからな。
 長門は何も答えずにスタスタと歩き出した。俺も慌てて追いかけ横に並ぶ。気のせいかもしれんが、焦ってないか?
「………危険」
 ここが安全な場所じゃないのはなんとなく分かったけどさ。
「そうじゃない」
 長門は前を見据えたまま小さく首を振る。
 じゃあ何のことだ?
「イレギュラー要素がわたしの認知できない所に存在しているのは先程の攻撃でも明らか。ここで1つ仮定が浮かぶ。確率は低い。だが、ありえる」
 初めて俺に自分は宇宙人だと告白してきた時のような淡々とした声が連なる。何故か無性に寒気がした。
「何がだ」
「もし、先程のわたしへの動作抑制が――」
 長門は一度言葉を切り、
「――朝比奈みくるを襲おうとした土砂が故意の物であったならば、狙われているのはあなただけではないということになる。涼宮ハルヒはともかくとして、この空間では力を発揮できない古泉一樹や朝比奈みくるも危ない。先程の段階ではそこまで判断できなかった。わたしの責任」
 続く言葉はだんだん早口になっていった。同時に歩くスピードと俺の鼓動も早まる。つまり俺のデマカセがデマカセでなくなる可能性があるってことか…?ということは、古泉達を襲う『何か』が現れるっつーことで……。
「嘘だろ…………」
 むしろ小走りと呼べるほどの超速早足で歩きながら俺は言った。今の俺なら競歩大会の優勝者にも軽々勝てるだろうよ。
 信じられん。いや信じたくない。だが、確かに考えられる。もし仮に朝倉のような急進派が俺を刺せばハルヒの情報爆発を観測できると考えたとして、それが『俺でなければならない』理由はない。あの時はどうだったか知らんが、今は長門や朝比奈さんや古泉だってハルヒにとってなくてはならない存在なんだ。1人でもいなくなったら、ハルヒは間違いなく大きな情報爆発とやらを起こすだろう。それこそ、世界が崩壊しかねないほどの。
 危険。長門がそう言った理由が分かった。
 ――――古泉達が危ない。



 長門のナビケートで延々林をくぐっていくと、見えてきたのはなんと俺達が借りているコテージだった。明かりが付いている所を見ると、無事に帰ったのか。そう思うだけで大分心境が楽になる。
「あ、おかえりなさいです」
 コテージに入った俺と長門を迎えてくれたのは、朝比奈さんのとろけそうな笑顔だった。あぁ本当に無事でよかったです。あなたに怪我でもされたら俺はその場で人形に五寸釘を打ち始めますよ。
「何意味分かんないこと言ってんのよアホキョン。何か見つかったの?」
 いや、長門の勘違いだったさ。リスを見たことがなかった長門がそいつを未確認生物だと思い込んじまったらしい。
「有希が?意外ね、何でも知ってそうなのに。それよりさ、ここに来る時何か見なかった?」
 何も見なかったし、見る余裕もなかったさ。
 しかしハルヒとのこのやり取りも死ぬほど安心するぜ。さっきは万が一こいつらに何があったらどうしようと心配する事で精一杯だったからな。
 俺の否定の言葉につまらなさそうな反応を寄せたハルヒは「おっかしいわねぇ」と何やらキョロキョロし始める。何やってんだ、お前。
「林の中探してたらいきなり古泉くんがあっちに何かいるって言い出してさ。指差すほうに行ってみたらあたし達のコテージがあったわけ。で、遠くからだけどあたしもコテージの中に何かいた気がしたのよね。窓越しに見えたの。大きいのと小さいのが1人ずつで、人間の形してたわ。鍵かけて出たのに人がいるなんておかしいでしょ」
 妄想だとしてもやけにリアルじゃねぇか?
「妄想なんかじゃないわよ。あたしは見たの。だからあんた達も探しなさい!とっ捕まえて縄でグルグルにしてアジトを問い詰めるの」
 ハルヒは意気揚々と引き出しやらキッチンの引き出しやらをひっくり返し回っている。このままだとこのコテージごとひっくり返しかねない勢いだったが、面倒くさいので放っておいた。
 それより気になったのは、目の前のこいつだ。
「……………古泉」
「なんでしょう」
 古泉は俺に返答する時だけいつものスマイリーな微笑を取り戻したが、何でもないと返すとまた無言で考え込み始めた。顎に指を当て思考に浸るその姿はどっかの銅像にでも成り代われるのではないかってくらい様になっている。いっそのことイースター島でモアイ像にでもなってきたらいいんじゃないかってくらいにな。
 何か悩み事でもあるのか?よかったら俺が10分1000円で相談に乗ってやるぞ。
「遠慮させていただきますよ。そうですね、先程見た不思議な物について思考を巡らせていたとでも言っておきましょうか」
 マジで見たのか?ハルヒの言う人間の形した2人組か?何もされなかったか?
 古泉は一瞬悩む素振りを見せ、珍しく歯切れ悪く答える。
「…ええ、男性と女性の2人組でしたね。ですがご安心ください。何もありませんでしたから」
「………」
 三点リーダーは長門ではなく俺の物だ。
 本当に不思議な物を見たのか。それは長門の言う敵ではないのか?それだったらその敵とやらはまだすぐ側にいるということになるが――、いや、それよりも、
「……………」
 どこまで分かってるんだ、こいつ。
 俺が正体不明の何かに襲われたことも知ってんのか?何となくそういう口振りに感じられたんだが、しかしハルヒがいるこの空間でそれを尋ねるわけにはいかない。ましてや謎の地球外生命体に襲われなかったかなんて聞く気にもなれないね。
 まぁ、何とかなるだろ。
 意味不明な事態に巻き込まれていることは確かだが、よくよく考えたらそこまで危惧するほどのことでもないように思えてきた。もし俺達に万が一にも命に関わる危機が迫っているとして、それを朝比奈さん(大)が知らないはずがない。そして知っていたら、何かしら俺にコンタクトを取ってくれるはずなんだ。
 そう、例えば下駄箱にファンシーな封筒を入れといてくれる、とかさ。



 とうとうコテージに何もいないと悟ってくれたらしいハルヒはそのまま長門と朝比奈さんを誘い夕飯作りを始め、俺と古泉はその間に風呂に入るよう命令された。せっかくのハルヒがいない空間だ。何か聞けるかと思ったんだが、何を聞いても古泉は当たり障りのない返答をよこすだけだった。
 何か隠しているのか?いやしかしそんな理由はない。古泉が見たらしい『何か』との間でいざこざがあったのならば、それを俺に隠す意味はないんだ。見たところ古泉のスマイリーな微笑はいつも通りに戻っていたし、もしかしたら俺が勘ぐり過ぎなのかもしれん。最近おかしなことに遭遇しすぎて思考が年寄り臭くなってきてるからな。
 俺達が帰ると、入れ替わりにハルヒ達が出ていった。どうやら今日の夕飯はカレーらしい。スパイシーな匂いが食欲を刺激するぜ。
 それから30分程でハルヒ達も風呂から帰ってきて、5人での夕飯となった。相変わらずSOS団3人娘は料理が上手いね。少なくとも俺が今まで食べたカレーの中でもベストファイブには入りそうな代物だった。
 その後はハルヒ主催のキャンプファイヤーでせっかく風呂に入った体をまた煙臭く染め上げたり、虫を怖がる朝比奈さんがけたたましい悲鳴を上げたと思ったら長門が無表情のまま素手で叩いていたり、ハルヒが笑っていたり笑っていたり笑っていたりと、とにかく青春の1ページを飾るにはもってこいの時間を過ごした。
 そうさ。俺はこういう少し非日常だが楽しい生活を選んだんだ。去年潜り込んじまったパラレルワールドでな。
 あっちの世界を選んでいても、俺はそこそこに楽しい生活を送れただろう。ただ活動場所が文芸部室でなくなる程度で、きっとあっちのSOS団でもそれなりの青春は得られたはずなんだ。長門は引っ込み思案な文芸部員として、朝比奈さんは高嶺の花の先輩として、ハルヒと古泉は他校の友達として。
 だが、俺はこっちを選んだ。そしてこっちを選んだからこそ今がある。
 だとしたら、今あるこの時間を大切にする義務が俺にはあるのさ。



 その後は特に筆に値することもなく、寝る支度と明日帰る為の荷物の整理をして眠りについた。
 ただ何かあったとしたら、男女で二部屋に分かれようと言ったハルヒを長門が止め、無理矢理5人一部屋で寝ることになったってことくらいか。ハルヒは首を傾げつつも了承したが、俺には分かる。もし緊急を要する何かが起きた時、少しでも全員が側にいたほうがいいという長門なりの配慮だろう。
 それなりの満足感に浸りながら眠りについた俺は、まだ気付くことができなかった。
 俺達が漫然と寝ている間に、すぐ側でとんでもない事態が顔を覗かせていたということに、さ。