サイレントメッセージ
―――第3話―――



「お腹がすいたわ!昼ご飯にしましょう!」
 案の定腹が減ったらしいハルヒは釣りを潔く止め、バケツに入っていた大量の魚をドバーっと川に帰した。小さな世界に捕らわれていた魚達は本来の住処に向かいグングンと泳いでゆく。このまま釣った魚が昼食になるのかと思ってたんだが、去年の夏休みに言っていたキャッチアンドリリースの精神はこいつの中で必須事項になってるのかもな。安心したぜ。
「当たり前じゃない。あたしは釣った魚を食べたいんじゃなくて釣りそのものを楽しみたいの。それよりほら!みくるちゃん!」
「あ、はぁい」
 ハルヒに指名された朝比奈さんが何やらバスケットをゴソゴソし始める。うむうむ、期待通りの展開だぞ。
「今日もみくるちゃんがサンドイッチ作ってきてくれたのよ!光栄に思いなさい。競売にかけたら数万はくだらないサンドイッチをタダで食べられるんだからね!」
 あぁ思うとも。朝比奈さんのサンドイッチにありつく為なら俺の財布はいくらだって緩むだろうさ。
「そんなに高価な物じゃないんですけど・・・・・・」
 当の朝比奈さんは苦笑ぎみだ。いやいや、例え格安の材料で作ったサンドイッチでも朝比奈さんが作ったのならその値打ちは数十倍にも膨れ上がるってもんですよ。
 朝比奈さんはにこりと笑い、
「遠慮なく食べてくださいね」
 と言ってサンドイッチとホットティーを手渡してくれた。俺が食べ始めたのを見てほっと吐息を漏らし、次々とハルヒと長門の胃袋に収まっていく自作のサンドイッチを眺めて幸せそうに目を細めていらっしゃる。
 おっと、そういえば。
「長門」
「…………」
 ふと思い出して長門に小声で呼び掛けると、長門はサンドイッチで頬が膨らんだままの顔を無言で俺に向けた。ハムスターか、お前は。
「その……今は大丈夫か?」
 大分言葉を省略して問いかけたんだが、長門にはそれだけで十分だったらしい。コクンと首だけを上下させて、またサンドイッチにありつき始めた。そうかそうか。それだけ食欲があれば大丈夫だろうよ。
 無言でサンドイッチにありつく長門の食欲はいつも通りだ。いつぞやの雪山の時のようにチビチビとした食べ方ではない。さっきの異常は実は古泉説が正解だったりするのか?それはそれで喜ばしいことだ。あっちの世界で見た宇宙人でない長門の微笑をこっちの世界で見られるようになるかもしれないんだからな。
 しかし俺は古泉の確証のないウンチクよりも長門の言葉を信じてるんだ。いい意味でも悪い意味でもな。長門は何者かによって動きを抑制されていたと言った。それなら、警戒しておくに超したことはないのさ。



 自分の分のサンドイッチが大方なくなった所で、ハルヒは朝比奈さんが注いでくれたホットティーをがぶ飲みした。口元を大袈裟に拭って、
「次は不思議探しに行くわよ!面倒くさいから班分けはナシ!5人で目をかっ開いて探せば何かしら見つかるわ!みんな、気合い入れていくわよっ!」
 正直有り難い。これで長門と違う班になって不測の事態が起きた時、どうしたらいいか俺には分からんからな。古泉も今回は頼りにならなさそうだし、朝比奈さんに至っては何も知らない。
 ランチセットをテキパキと片付けた俺達は、団長様のご進言通り不思議探しツアー(in山)に出かけた。林越しに見えた太陽は大分傾き始めている。どうやらこのまま夜になってくれそうだ。
「待って」
「ん?」
 申し訳程度に辺りを見渡しながら歩いていた俺の裾に僅かな力が掛かった。振り返ると、裾を掴む指先は長門のほっそりとした身体に繋がっている。
 懐かしいな。前にこうやって俺の袖を掴んだ長門はこの長門ではなくてパラレルワールドの長門だ。あっちの長門は不安そうな表情を浮かべて俺を見上げていたが、こっちの長門は無表情でただ袖を掴んでいる。やっぱり俺としてはこっちの長門のほうが馴染み深いな。あっちの長門も可愛かったけどさ。
「どうした?長門」
「このままの速度で進んで先頭の涼宮ハルヒが2分40秒後に辿り着く地点に」
 長門は一度少し言葉を選ぶかのように間を置き、
「――空間の歪みがある」
 無表情で待ってもいなかった不測の事態の到来を告げた。
「……それはマジか?」
 長門は首を縦に振り、
「大マジ。このままではわたし達は異空間に放り込まれる。回避すべき」
 そうだろうな。ハルヒと共に歩く朝比奈さんと古泉だけならまだともかく、ハルヒ自身が異空間に放り込まれたんじゃそれこそ世界崩壊の危機だ。
 長門は小さく頷き、
「わたしが歪みを構成している空間プログラムを消滅させる。涼宮ハルヒ達と別行動を取りたい」
 最もな意見だ。せめて古泉だけにでも伝えておきたいが、そんな暇はないだろう。自分勝手な我らが団長様は勘だけは冴えるからな。
 ところで俺はどうすればいい?
「イレギュラー要素からの介入があるのだとすれば、狙われるのはまずあなた。わたしの側を離れないで」
 また長門に助けられちまうのか、俺は。しかし今はそんなことも言ってられない。また朝倉みたいな先兵に刺されるのは御免だからな。とりあえずまずはハルヒ達と別行動を取らなくてはならない。
 やれやれ、どうやら旅行を平穏に楽しむことはできなさそうだぜ、過去の俺。



 俺達が世界崩壊の危機回避の為に対策を講じている間にハルヒ達は俺達よりずっと先に進んでいたようで、俺はまずハルヒ達の足留めにかかった。
「何よキョン、何か見つけたの?」
 いや……そのだな……。
「長門が…そう長門が、あっちで何か可笑しな物を見たらしいんだ。そうだろ?長門」
 右前方を指差しながら場つなぎの為に長門に問いかけると、長門は頷く。
「ほんと!?お手柄だわ有希っ!早速みんなで行きましょう!」
「いや、待ってくれ」
 猪のように突進してゆくハルヒを寸前で食い止め、即席のデマカセを言う。
「あっちにも不思議な物があるらしいんだが、こっちの道のまま進んでても何かありそうなんだと。あっちに行くにはここを右折しなきゃならんから、ここはひとつ2手に分かれてそれぞれ調査したらどうかと思ってだな・・・・・・」
 真実も織り交ぜているものの殆どデマカセの即席言い訳だったが、興味に目が眩んだハルヒを騙すには十分だったらしい。神妙な顔で何やら考えていたハルヒはじきに大きく頷いて、
「そうね。時間もくっちゃうしそうしましょ。今日はまだキャンプファイヤーもやらなきゃいけないし」
 まだ何かやるつもりなのか。いやしかし安心したぜ。ハルヒのことだから「自分で行かなきゃ真実を確かめらんないじゃないっ」などと言って暴れかねないと思ってたんだがな。俺達も信頼されたもんだ。
「じゃあキョンと有希はそっち!不思議な物と対面したら何も考えずにあたしに知らせるの。いいわね?場合によっては昇格も考えてあげるわ」
 SOS団内で昇格しても何も嬉しくないぞ。どうせ『副副団長』の位をもらったって俺の仕事は一生変わらず雑用係なんだろうからさ。
 などと考えつつも首尾よくハルヒ達と分かれた俺と長門は、早足で“その”地点へと向かった。ズンズンと歩く俺に、長門が音もなく付いてくる。毎度思うが、こいつは本当に地に足を付けているのかね。長門がミクロ単位で浮きながら歩くフリだけしていても俺はちっとも驚かないぞ。
「ここ」
 その長門が再び俺の裾を掴んだのはその1分後だ。
「あなたの歩幅で5歩目に到達する地点が異空間との境目」
「ふむ……」
 漫画や小説で描かれるようなグルグル模様を想像していたんだが、意外とその歪みとやらはちんけな物だった。あえて言えば向こうの景色がほんの僅かに歪んで見える程度だ。俺の視覚的にはだけどさ。だがこの程度なら普通の人間は何も気付かずに突き進んでしまうだろう。
「データを確認。空間プログラムの消去は大いに可能。実行する」
 長門は華奢な白い腕をその歪みとやらに向かって伸ばし、例の早口呪文を唱え始めた。歪みが色付き、抵抗するかのように渦巻き始める。
 その様子をただ見物していた俺だったのだが、急に長門が使っていない方の手で俺の肩を掴んできた。どうしたと問いかけるより先に、長門は薄く唇を開く。
「しゃがんで」
「なん……おぅぶッ」
 肩ごと地面に叩き付けられ、俺は情けなく地に伏せた。すると、今の今まで俺の首があった位置を何やら尖った物が通り過ぎていく。
「何だ!?」
 妙な既視感を覚え、朝倉に襲われた時と状況が被っていることを思い出した。あの時は長門の蹴りで助けられたな。
「そのまま伏せていて」
 そう言い、長門はまた早口呪文を再開した。空間の歪みは次第に収まっていっている。
 やれやれ、また俺は誰かに命を狙われてんのか。長門が助けてくれるからいいものの、これじゃ命が1ダースあっても足りないぜ。
「へいき。もう終わる」
 長門は最後の仕上げとばかりに短く早口を述べる。その言葉通り、渦巻いていた歪みはじわじわと霧散していった。