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長門有希の分身 ―――第2話――― 「ちょっと、大丈夫!?」 「大丈夫ですか!?」 ハルヒと古泉がそれぞれ慌てた様子で顔を青く染め上げながら寄ってくる。古泉が俺と朝比奈さんを立ち上がらせてくれて初めて、俺は今起こった出来事を冷静に分析する余裕を得た。 待て待て。俺はこんな所に来てまで何をしてるんだ。俺がたまたま振り返ったからよかったものの、振り返らなかったら朝比奈さんは今頃あの土砂の中だ。考えただけでもゾっとする。 そこまで考えて、俺は気付いた。 いつもピンチになると必ず助けてくれる宇宙人製アンドロイドが、未だにその場に立ち尽くして茫然としていたのだ。 「長門…?」 ハルヒが朝比奈さんに怪我はないか大丈夫だったか騒がしく確認する声をBGMに、俺は俺達から少し離れた所にいる長門有希に声をかけた。 「…………」 俺が声をかけても、長門は微動だにしない。どうしたんだ?そんなに土砂崩れがショックだったのか? 「長門?」 今度はそのほっそりとした肩を掴んで軽く揺らしてみると、長門はやっと俺を見た。瞬きを繰り返し、身体を緩慢に小さく動かす。 「どうした?大丈夫か?」 「……へいき」 いやいや平気じゃないだろ。お前がその状態で平気だと訴えるなら天と地が逆転しちまうぜ。 俺を見上げて一瞬戸惑ったように見えた長門は、一拍置いてからその淡い唇を開いた。 「……1分程何者かによって動作を抑圧されていた」 今度は俺が息を呑む番だ。 SOS団きっての万能選手である長門が動かなかったわけだ。動かなかったんじゃなくて、動けなかったのか。 「大丈夫なのか?」 「現在はその抑圧は気配すらも感じられない。後遺症もない。だが先程までは完全に動作を封じられていた」 いつからだ? 「1分36秒前――――音が聞こえて振り返った瞬間から」 どういうことだ?何のために? 「わからない」 長門は首を振った。無表情の中にも焦燥感が漂っているように見えるのは、俺の見間違いではないだろう。 全く、何が起こってんだ。 朝比奈さんが生き埋め寸前だったと思ったら次は長門が動作停止か。昨日まで雨が降り続けていたから土砂は自然のものだと思っても差し支えないだろう。しかし長門の件はどうなる? 「くそ……」 意味不明だぞ、くそったれ。 朝比奈さんが普段と変わりなく笑顔を浮かべ始めたのを確認したハルヒは、今度は理不尽に腹を立て始めた。 「とんでもないわね!みくるちゃんを襲おうとするなんて、どんだけ身分を分かってない土砂なのよ!お仕置きが必要ね!」 土砂にお仕置きしてどうすんだよ。 「うるさいわね。とにかくもう行きましょ。今日はすることが沢山あるんだからね!この土砂は放っておいていいわ。責任者を問いただして賠償金を請求するべきよ。軽く100万には上るわね」 土砂が崩れるたびに100万円も払ってたらその責任者とやらは一気にホームレス生活だろうよ。無事だったんだからいいじゃねぇか。 「まあよかったけどね、みくるちゃんが無事で。あんたもたまにはいいことするわね」 ハルヒはやれやれとばかりに肩を竦めて苦笑してみせた。 その後コテージに荷物を置いた俺達はその足で釣りに出掛けた。釣り糸の先を水中に突っ込むたび魚を釣り上げる長門にハルヒがムキになって対抗している間、俺は朝比奈さんと2人でピクリともしない釣り竿を振るっていた。ちなみに古泉は散策に出かけていったが、ちっとも戻らないところを見ると機関に報告でもしてんのかもな。 「釣れないですねぇ、お魚さん」 朝比奈さんは整った手先で釣り竿をブラブラさせている。 いやいやあんだけホイホイ釣り上げちまう奴らがおかしいんですよ。川釣りなんてこんなもんです。 俺が魚でバケツを一杯にしているハルヒと長門を見ながら言うと、朝比奈さんは「ふふ」と密やかな笑みを浮かべる。栗色の髪が風になびいていた。 「キョンくん、さっきはありがとう」 その笑顔のまま朝比奈さんは言った。 いえいえ。俺こそ力の限り引っ張っちまってすみませんでした。痛かったでしょう? 「ううん。あたしがぼーっとしてたからいけないの。ほんとにありがとう」 朝比奈さんに怪我がなかったなら俺はもうそれだけで安心ですよ。間に合ってよかったです。 「みくるちゃん!ちょっとこっち来て!」 「あ、はぁい」 可愛らしく舌足らずな返事をして俺に手を振り立ち上がる朝比奈さん。この人を守るためなら俺は何だってするね。 暫く朝比奈さんの加わった3人娘を眺めていると、古泉が戻ってきた。深刻そうな顔で首を傾げている。 「携帯の電波が入りません。田舎だからでしょうか」 古泉は携帯を閉じ、傾げた首を振りながら苦笑した。俺もポケットの携帯を確認すると、確かに電波が入っていない。駅で時間を確認した時は入っていたから、立地条件の関係で電波が入りにくいんだろう。駅からかなり登ってきたし、よくあることさ。 「機関に連絡は?」 「オーナーの家の電話を使わせて頂きました。機関はただの土砂だと言っていましたがね」 それなら長門の動作停止はどうなる。 「そうですね…。こうは考えられませんか?」 古泉は少し演技めいた笑顔を浮かべ、 「長門さんは最近めっきり宇宙人っぽさが抜けてきていますよね。長門さんは音に気付き振り返った時、焦ってしまったのですよ。“人間”の心情そのものです。仲間の上に土砂が降りかかろうとしていたら、誰だって焦るものでしょう」 ああ全くだ。俺だって焦った。だがそれがどうした? 「長門さんは“人間の心情”に慣れていなかった。常に冷静に行動していたから、焦りというものを知らなかったのでしょう。しかし最近長門さんは普通の女の子に変わりつつあります」 古泉は一度言葉を切って俺を見る。 「ですから、焦りから強張ってしまった身体を動作停止したものと思い込んでしまった。初めてのその感覚に、暫く身体を動かすことを忘れていたのでしょう。そしてあなたに肩を揺すられ、正気を取り戻した」 「ううむ……」 筋は通っているかもしれんが……確証はあるのか? 「ありませんね」 ハッキリ言いやがった。 「何しろあの長門さんですからね。確率は極めて低いです。殆どないと言っても過言でないですよ。こういう考え方もあるかもしれない、という推測です」 成程な。まぁ記憶の隅にでも残して置いてやるさ。 遠目に長門を見ると長門はチョコンと切り株に座って釣竿を持っていた。あの吸い込まれそうなほどに澄み切った瞳は、いつも通りのあいつの物だ。 「はぁ〜………」 思わず溜息が出てしまう。来て早々厄介事に巻き込まれちまったが、俺は事件を呼ぶフェロモンか何かを放出しているのかね。名探偵は事件を呼ぶと言うが、俺は探偵でも何でもないぞ。そんなポジション喜んでハルヒにくれてやるさ。きっと諸手を上げて食いついてくるだろうからな。 太陽はまだ少し頂点を過ぎた辺りにある。そろそろハルヒが空腹を訴えてくる時間だろう。 じきに俺を呼ぶであろう喧しい声を想像して、俺は無事にこの旅行が終わることを切に願った。 |