サイレントメッセージ
―――第8話―――



 俺達がのんびりとそんなことをしている間に太陽は漫然と傾き始め、また俺達の出番が訪れたようだった。ちょうど過去の俺達が釣りをして朝比奈さん作の有り難き昼食を食べ終わり不思議探索ツアー(in山)に出かけた頃合である。
 この間『俺達』が安全だったのかというと、どうやらそうでもないらしい。こっちの長門は過去の自分に気付かれないよう既に『俺達』の周りに何たらフィールドを展開済みで、俺との会話を行いつつも『俺達』への注意を怠らなかったのかと考えると涙ちょちょぎれる善行であった。
 やれやれ、いつかこいつが俺を頼ってくれる日は来るのかね。頼りっぱなしでいろいろと居たたまれないのだが、誰か俺をスーパーロボに改造してくれる気はないか? それで長門を助けられるようになるなら、俺は喜んで手術台に上ると思うぞ。
 ……いや、冗談だがな。

 

 早足で駆け付けた俺達が過去の自分を発見した時、ちょうど過去の長門が『俺』の裾を掴んで空間の歪み? とやらの発生を告げていた。この時俺は何て返したんだっけな。まぁ無難に「それはマジか?」とかその辺だったと思うが。
 納得したらしい『俺』がハルヒに適当なデマカセを並べ立て、頷いたハルヒを先頭に朝比奈さんと古泉が続いた。対する長門チームは早足で林の奥へと進んでゆく。この時の俺は、数分後に尖った槍状の物質に襲われることなど微塵も知らないんだよな。教えてやりたい気もするが、俺はこの時身の危険を教える自分の声など聞かなかった。だったら今俺は『俺』にそれを伝えてはならんのだ。それに、心配しなくても『俺』は過去の長門が助けてくれる。俺は今やるべきことに集中すべきだ。
「長門、俺達は古泉達に付いて行くんだよな?」
 今まで聞いた話を総合するとそういうことになる。過去の長門にできなかったことをサポートするために、俺と長門は今ここにいるのだと長門は語った。
「って、長門? どうした?」
 てっきりもう進んでいるものだと思って振り返ったのだが、長門は存外に俺の側で固まっていた。この身動き一つない固まり方には見覚えがある。
 長門は何かを振り切るようにして早口に呪文のような言葉達を呟き、一度大きく瞬いた。
「動作抑制を受けている。涼宮ハルヒ達を覆っていた不感知防御フィールドとコテージに組み込んできた広範囲フィールドをコントロールできなくなった。じきに消滅する」
 驚く俺を前に一息でそれをまくし立てた長門は俺の手を掴み、競歩選手権並のスピードで歩き出した。思わず足をもつれさせた俺は体勢を整え、逆に長門の手を引いて走り出す。
「どうすんだ!?」
 走りながら叫ぶ。あっちの長門のみならず、こっちの長門まで動作抑制を受けるなんて前代未聞だぞ。あの時長門が何の抑制も受けずに空間の歪みを除去できたのは、その矛先がこっちの長門に向いてたせいか。
 幾分か緩慢な動きで俺の後を追う長門は変わらぬ静かな声で、
「今のわたしでは対象を自動的に保護するフィールドを展開できない。どこか特定の区間を持続的に保護するだけの単純なフィールドなら―――」
 淀みなく話していた長門の言葉が途切れる。不思議に思い振り返った先には、妙に納得した表情で頷く長門がいた。何か分かったのか?
「コテージに固定空間フィールドを展開する。古泉一樹に涼宮ハルヒを促させようと思う」
 古泉に接触するのか? まぁあの中ではあいつが一番適任かと思うが、不可視なんたらフィールドで俺達は今見えないんじゃなかったっけ。
「古泉一樹を含めてフィールドを再構成する。古泉一樹のみわたし達が見えるようになる」
 何か知らんが複雑そうだな。抑制されてても出来るのか?
「やる」
 長門はきっぱりとそう言った。いつぞやのハルヒの台詞を思い出す。今の長門の横顔は、「出来る出来ないじゃない。やるのよ!」と堂々宣言してくださったハルヒの溌剌とした笑顔を思い出させた。
 そうだよな長門。長門は前にSOS団をどんな連中からも守ると明言してくれた。今がその時なのだ。
 ハルヒの黒髪が見えた。右前方には朝比奈さんのふわふわしたお姿もある。古泉はというと、左の方でいつものスマイリーな笑顔を浮かべていた。俺達は迷わず左へ進む。
「フィールドを解除。再構成する」
 古泉に近付く。何も気付かずに辺りを探す振りだけしている奴に手が届く距離まで近付いて、長門はそこで早口呪文を述べた。
「古泉」
 俺は言った。古泉が驚いたように目を見開く。いきなり現れたんだからな、そりゃ驚くさ。
 辺りを見渡して、ハルヒ、そして朝比奈さんを視界に入れ、最後に俺達を見た古泉は、沈黙の末に一つ瞬いた。
「何もなかったから戻ってきた……わけではなさそうですね」
 俺達…特に俺の制服姿を見た古泉は開口一番にそう言った。
「あぁ。この時空の俺達は今空間の歪みとやらとの対決中さ」
「では、いつの未来のあなた達でしょうか」
 やけに理解が早いな。俺はそんな切羽詰まった顔をしてるのかね。いや、実際切羽詰まっているのだが。
「お前らから見て明後日の早朝から飛んできた」
「…そうですか」
「古泉一樹」
 言ったのは長門だった。
「あなたは今わたし達以外には見えていない。早急に話を済ませる」
 記憶通りのベーシックな服装をした古泉はハルヒを横目で見遣り小さく頷く。ハルヒが古泉がいないことに気付いたら大変なことになるもんな。今ばかりは生真面目に不思議探ししてくださってる団長様に感謝するぜ。
「あなたに涼宮ハルヒ達を誘導してほしい。このままではあなた達は危険。コテージに固定空間フィールドを展開する」
「…コテージまで、涼宮さん達を誘導すればいいんですか?」
「そう。過去のわたし達が戻るまでコテージを離れないで」
「分かりました」
 この立場にいるのが俺でなくてよかった。間違っても俺の理解速度が古泉を越すはずがない。もし俺が古泉だったら、今俺は間違いなくアタフタと頭を白紙のキャンパスよろしく真っ白にしているはずさ。
「不可視遮音フィールド解除。再展開完了」
 長門が唐突にそう言った途端、古泉はまた激しく瞬いた。俺達が見えなくなったんだろう。迷惑かけちまって済まないな。しかしこれもSOS団の未来の為なんだ。
 また長門に手を引かれ全速力で向かった先は俺達のコテージだ。後ろで古泉がハルヒに何やら並べ立てているのが聞こえる。じきに追い付かれるだろう。
 長門がコテージの鍵を開け、中に音もなく滑り込む。俺も後に続くと、窓から差し込む月明かりの中に見える長門の横顔はどうしたことか冷や汗にまみれていた。
「長門!?」
 長門が荒い呼吸を繰り返す。こんな長門は初めて見た。
「固定空間フィールド展開完了。空間プログラムを強化す…る……」
 最後のほうはもう蚊の鳴き声ほどもない小声だ。
 長門はそこで何かに気付いたように冷や汗まみれの顔を上げた。俺はそんな長門に圧倒されて一歩も動けない。
「不可視遮音フィールドが解除された」
 ……って、つまり俺達はハルヒに見えちまうっつーことか?
「そう。受ける抑制の量がわたしの情報許容量を超えているため再展開が不能。固定空間フィールドの展開は終了した。早急にこの場を離れるべき」
 それを言うだけでも長門は辛そうだった。無表情なのは変わらないが、明らかな疲労の色が見える。声も心なしか細々と小さい。
「――……!」
 ピンと空気が張り詰めたのが分かった。敵勢力が何かしやがったのか。
 しかも運悪いことに、現実逃避するように目を遣った窓越しに見えたのは、古泉に促されコテージに戻る途中なのだろうハルヒの真摯な双眸だった。まだ遠いが、確実に俺達が見えたであろうハルヒがこっちを指差して古泉と朝比奈さんに向け何かを叫ぶ。見つかったか!? いや、まだ遠い。俺と長門の顔までは見えていないはずだ。
「!」
 危険を感知したらしい長門が俺を突き飛ばしてくる。情けないことに突き飛ばされて尻餅をついた俺が抗議の声をあげる前に、長門は俺を見ないまま言う。
「防御が不可能。隠れていて」
「…………」
 突き飛ばされたままの間抜けな体勢で長門の静かな声を聞きながら、俺は腹の中で何かが煮えくり返る、そんな感覚を覚えていた。
 この感覚の名を俺は知っている。怒りじゃない。もちろん嬉しい訳がないし、ましてや安心でもない。
 悲しいんだ。悔しい、でもいい。
 こうして守られるのは一体何回目だろう。少なくとも今回の旅行事件だけで片手の指が埋まる程度には俺は長門に守られてる。
 俺は何もできないさ。長門みたいに宇宙人的なワザを使えるわけでもない。超能力なんて使えないし、一人じゃ過去に戻って危機回避を促すこともできない。
 だがそれが何だってんだ。
 俺は長門の側にいる。何もできないからって、すぐ側で苦しんでる仲間を見捨てるほどの意気地なしに俺は育てられちゃいない。恨むなら俺を意気地なしな駄目男に育てなかったお袋を恨んでくれ。だからさ、長門、
「一人で溜め込むなっつっただろ!!」
 俺は怒鳴った。長門がびっくりしたように俺を見る。起き上がって長門の肩を掴んだ俺は、そのまま長門を抱え上げて走り出した。
 俺が負傷するから何だ? 俺を守る為なら長門が苦しんでもいいってのか?
 そんなの、馬鹿げてる。俺はそんなの許さない。許せない。
 コテージを出て、林に向かって走り続ける。鍵が閉まる音がしたから長門が閉めてくれたのかもしれないが、今の俺はそれに反応する余裕など欠片もなかった。しかし気付けば、いつしか空気の緊迫感はなくなっていた。
「撒いたか?」
 いや、そんなはずはない。宇宙規模の存在を俺如きが負かせるはずがないんだ。諦めたか、はたまたわざと攻撃を止めたかのどっちかだろう。その理由など俺が知るはずがない。
 だが、長門に対する抑制がなくなったのは確かだった。小さく吐息を吐いた長門は、額の冷や汗を拭って俺に頷いて見せる。これだけでも十分安心に値した。長門には、いつだって苦しまずにいて欲しいからな。
 コテージがギリギリ見える程度に離れた林の茂みに身を隠し長門を降ろす。コテージに過去の俺と長門が急ぎ足で入っていくのを見て、俺はやっと安堵の溜息を吐いた。俺達がついさっき出てきたばかりのコテージには、何処となく長閑な雰囲気を演出するような暖色系の灯が点いていた。