サイレントメッセージ
―――第9話―――



 過去の俺達は急ぎ足でコテージに入っていく。その時、過去の長門がふと上を見上げ、僅かに目を細めた気がした。こっちの長門が展開した固定空間フィールドに気付いたのかも知れない。長門が未来からの接触に気付いたのはこの時か。今まで長門は、不感知なんたらフィールドで俺達の存在をひた隠しにしていたそうだしな。
 だが、長門がフィールドを制御できなくなったおかげで過去の長門は俺達が未来から来ていることに気付いたんだ。ということは、これは規定事項なのか? だとしたら俺は無事に帰れるということになる。俺は今朝、学校で未来の自分を見たんだ。これからあそこに行かねばならんのは、今ここにいる俺の筈だ。
「………無理するなって言っただろ」
 ようやく落ち着いた俺は、長門の方を向かないままにそう言った。あん時は怒鳴っちまったが、今は少し冷静な自分を自覚できる。長門にも悪いことしたな。
 受ける抑圧がなくなったのかはたまた少なくなったのか、先程の冷や汗を額から綺麗さっぱり消し去った長門が俺を見た。静かな三点リーダーはいつものこいつの物だ。
「さっき言ったばっかだろ。お前が消えたら俺は暴れるってな。今回だって同じだ。お前だけに苦しまれて俺が嬉しいと思うか?」
「…………」
 同じようなことをまた繰り返す。だが長門はこうでもしなきゃ俺の言い分を分かってくれない気もした。とことん自分を大事にしない奴だからな。ここらで徹底的に分からせてやるのも手かもしれん。
「……あなたには傷付いて欲しくない」
「俺も長門に傷付いて欲しくない。いい加減分かってくれ。頼むからさ」
 口調は厳しいが、俺の胸中は割と穏やかだった。こうしてると、喧嘩してた友達を助けてボロ雑巾のようになっちまった娘に自分の身の大切さを説いてる気分になってくるね。
 俺を見上げる長門の瞳がひどく揺れた気がした。月明かりの中で涙を堪えているかのようにキラキラと煌めく漆黒の瞳は、国宝モノの希少価値があると思う。冗談じゃないぞ。
 長門は顔を伏せた。それが頷きだったことに気付くのに時間がかかって、しかし俺はその答えに満足して話を進める。
「分かったなら、そろそろ答え合わせをさせてくれ。過去のお前が俺達に気付いたのはこの時だな?」
 自信のある事項から確かめていく。断定的な俺の問いかけに、長門は迷いなく頷いた。
「そう。でも、わたしはわたしに自分の存在を示す為にわざと不感知フィールドを解いたのだと思っていた」
 実際はそうじゃなかった訳だな。長門にはそれを制御するだけの余裕がなくなっちまったんだ。その結果、ばっちりフィールドは壊れたって訳だ。
「ハルヒに見られちまったが、大丈夫なのか? お前が記憶を抹消してくれたとかか?」
「涼宮ハルヒはあなたがあなただと気付かなかった」
 長門の目は真摯だった。
「思い出して。あなたがコテージに戻った時、涼宮ハルヒは何をしていたか」
 何をって、何か得体の知れない物を見たと言ってコテージの中の物をひっくり返し回っていたが……。
「…………あ」
 そうか、そうなのか。
 あの時ハルヒが見たらしい未確認生命体は、俺達だったのだ。ハルヒの声が蘇ってくる。
 ――大きいのと小さいのが一人ずつで、人間の形してたわ。
 成程な。それが俺達なら、ハルヒがどんなにコテージを探しても見つかるはずがない。俺達は今ここにいるんだからな。
 同時にあの時様子がおかしかった古泉の言葉も甦ってきた。男と女の二人組だったと、あいつは妙に具体的な回答をよこしてきた。ハルヒと朝比奈さんを誘導させるため俺達が強引に接触した古泉。帰ったら、礼くらいは言ってやるか。
「ところで長門。さっきからお前を痛めつけてやがる敵勢力ってのは一体何なんだ? お前以上の力を持っているとしか思えないんだが」
「……正体は不明。探られないようにされている」
 長門はそのままの無表情で、
「敵は複数。だが個々のレベルはわたし以下。どうにかする」
 そのどうにかする手段はぜひお前ばかりに負担が掛からない方法を選んでくれよ。俺は近臨際この件で胸を痛めるのは御免だぜ。
「………」
 長門は今回は分かったとは言わずにただ頷いた。暖かくも冷たくもない風が肌を撫でる。
「ここで、待つのか?」
「そう」
「何か起こるまで?」
「そう」
「今は、抑圧されてないのか?」
「へいき」
 この率先して原稿用紙の空白を増やそうとしているような会話をこんなにも心地良く感じるようになったのはいつからだろう。覚えちゃいないが、初めは気まずかったのは確かだ。今まで十数年と生きてきて、ここまで第一印象とその後の印象が変わった人物はいない。今後も長門を超える者は現れないと思うね。
 その時、ガチャリとコテージの扉が開いた。驚いて少しコテージから離れた場所に移動する。見つからないとは思うが、保険のためだ。
「みくるちゃーんっ! バケツ用意できた―?」
「あ、は〜い」
 ハルヒと朝比奈さんがコテージから出てきた。そうか、俺達は夕食の後キャンプファイヤーだの何だので盛り上がったんだっけ。
「おいハルヒ! まさか食後すぐに始める気か!?」
「あったりまえじゃない! 早く始めないと楽しさが逃げちゃうわよ」
 いや逃げん。どう考えても逃げん。俺はそう思った筈だ。実際そこで絶句している『俺』はげんなりとした表情でハルヒを眺めているしな。
「有希っ! あんたならできそうだから薪の組み立ては任せるわ。火おこしは男二人でやるのよ! その間あたし達は流れ星に付着してやってくる宇宙人を探してるから」
 お前それサボりたいだけだろ。俺達に押し付けたいだけなんだろ。っつーか俺もやるなよな。自分に突っ込んでどうすんだって気もするが。
 俺は何度か鏡の中以外に『俺』を見たことがあるが、こんなにまじまじと自分を見るのは初めてだ。長門の世界改変を修正しに行ったときは俺は朝倉に刺されて死にそうになっていたし、今朝見た未来の自分だってここまでじっくりとは見れなかった。こうして見ると、俺、結構間抜けな顔してるよな。これからは気を付けよう。
 俺の目の前で、俺の記憶通りに夜は着々と更けていった。隣の長門が醸し出す本を持ってくればよかったと後悔しているような微妙なオーラを感じつつ俺は待つ。きっと敵の尻尾が捕まえられるであろう、その瞬間を。
 しかし暇だな。『俺達』を見てるのは楽しいっちゃ楽しいんだが、目の前で楽しんでる奴らを延々じっと見続けるのは骨が折れるぜ。と言うわけで脳が刺激を欲した俺は、無意識に考え事にのめり込んでいった。長門も何も話さないしな。
 一つ、疑問だったことがある。
 何で俺なんだ?
 確かにハルヒは未来からやって来た俺達を見た。だが、それが規定事項なのは理解できる。だが、この位置で長門をサポートするのは俺じゃなくてもいいはずだ。属する派閥が違うかも知れないが喜緑さんを連れてくれば言うまでもなく即戦力になるだろうし、古泉でもそれなりの働きをするだろう。俺はボードゲーム以外はあいつに勝てる特技なんぞ持ってないぞ。しかもそれならハルヒの言う『大きいのと小さいのが一人』という条件にも当てはまる。悔しいが、古泉は俺より背が高いんだ。
 どうして俺なんだ? ハルヒがまだ閉鎖空間をバンバン作り出していた時期にも思った。あの時はこんな役うんざりだと思っていたが、今は純粋に疑問に思う。
 ハルヒはSOS団団長としての立場をこれだと思う奴にしか譲らないと言った。俺もそうだ。口ではいろいろと言っているが、ハルヒと遊び回ったり朝比奈さんと時間遡行したり古泉と思考を巡らしたり、そして長門とこうやって普通でない思い出を作るこのポジションを、俺はできれば手放したくない。やれやれな事態には確かにうんざりするが、かと言ってこれがなくなったあかつきには俺は即座に発狂するだろうよ。人間ってそんなもんだろ?
 長門に聞く気にはなれなかった。それは長門が本読みたいオーラを発していて怖いからなどでは決してなく、ただ純粋に聞いてはいけない気がしたのだ。帰ったら朝比奈さん(大)にでも聞いてみよう。
 そんなことを俺が漫然と考えといた時だった。長門は音もなくそろりと立ち上がり、俺を見る。
「そろそろ」
 キャピキャピと騒いでいたハルヒ達が後片付けをしてコテージに入ってゆく。俺の記憶が正しければ、キャンプファイヤーをしてひとしきり一つ屋根の下で騒いだ後、俺達はわりと早く眠りについた。コテージの少し黄味がかった灯りが消えるまでそこまで時間は掛からないだろう。
 決着の時が、近付いていた。